【赤い小人】

★1998年/ベルギー・フランス合作/モノクロ/102分
★1998年カンヌ国際映画祭監督週間正式出品作品
★監督:イヴァン・ル・モワール
★原作:ミシェル・トゥルニエ
★出演:ジャン=イヴ・チュアル、ディナ・ゴージー、ミシェル・ペルロン、アニタ・エクバーグ
★配給:ケイブルホーグ
★ロードショー:2000年5月末より銀座シネ・ラ・セットにて
★あらすじ:

リュシアン・ロッテは30才代の小人。
法律事務所に勤めている。
仕事は真面目で、特に離婚訴訟となると熱心に悪意に満ちた書類を書き上げる。
自分には幸せな結婚などありえないと諦め切っている彼は、他人の結婚をぶち壊すのに異常名な情熱を燃やしてしまうのだ。
しかし、あるうだるような夏の昼下がり、仕事で元オペラ歌手の伯爵婦人を豪壮な館に訪ねて行く。
なまめかしい巨体に体をうずめると、不具だからと抑えに抑えてきた情念が、愛が堰を切ってほとばしる。心の中でくすぶり続けた恨みが恵みにあがなわれる時が訪れたように・・・。
(試写会でのリリースノートより)


△写真提供:ケイブルホーグ

△写真提供:ケイブルホーグ
★見終わって:

この作品は『詩』です。
恐らく観客によって見終わった後に受け止めるものは千差万別で、ましてや上記の「あらすじ」でさえ人によっては見方が異なるでしょう。
見終えた後に何かが心の底に引っかかります。

どうにもパターン化された映画を見慣れているせいか、これってハッピーエンド!?それとも・・・と、二者択一をしたがってしまいますが、どちらでもあり、どちらでもありません。
エンディングのみならず映画全編にわたって、こうした矛盾性を含んでいるような気がします。

これは『聖なるものと俗なるもの偉大なものと卑小なものとが独特な形でまざりあい、生の双極が対角線上に仲立ちなしに向かいあう。せめぎあう誕生と死、祝福と呪詛、青春と老残、愚昧と叡智、上と下。「道化 -つまずきの現象学-」』とサーカスがいわれるように、まさしくこの映画そのものがサーカスであり、固定的な秩序や既成思考の枠組みの解体者がクラウンだとするならば、主人公自身の生き方がクラウンそのものの化身だからなのでしょう。

映画の中で彼は職をはじめ全てを捨て、小さなファミリーサーカスの一員になり、クラウンとしてリングに立つようになります。
それが良いのか悪いか、幸せなのか不幸なのか、そんな既成概念から推し量ることはクラウンに対しては意味がありません。

モノクロ作品ですが、ラスト近くに数秒だけカラーになるシーンがあります。彼の顔がスクリーン上で大写しになるのですが、とてもとても印象的なシーンです。
ブランコから落ちてくる芸人である少女を両手で受け止めた彼の表情は、昇華したような安らぎのある様子で、その時ようやく今までの不満や憤りや怒りを精算することが出来たのでしょうか、それとも少女が望んでいた「守護天使」になれたのでしょうか。
とにかく味わい深い映画でした。

ちなみに、映画後半はサーカスを舞台にしているのですが、あまりサーカスシーンは出てきません。ましてやジャグリングなんぞは団員の練習風景でディアボロとクラブのシーンがほんの数秒出てくるくらいですが、サーカスの匂いはたっぷりと嗅ぐことが出来ます。

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