- ジャグリングワークショップ(1998.6.6)
- ディズニーランド(1998.6.2)
- 花咲く家の物語 '98(1998.5.29)
- 見世物小屋の文化誌(1998.5.14)
- チルコファンタジア(1998.5.9)
- Dreams & Nightmlares(1998.5.5)
- Dreams & Nightmlares(1998.4.28)
- 大道芸的ライブ(1998.4.23)
- 第22回野毛大道芸(1998.4.19)
- ヨコハマボードビルシアター(1998.4.16)
- Mr.マリック超魔術ライブ(1998.3.15)
- クラウンのいる風景(1998.2.15)
- 説経節(1998.2.4)
- 江戸太神楽・お江戸のお正月(1998.1.14)
この映画は、最後の見世物小屋芸人といわれた人間ポンプこと安田里美さんとその一座の、1994年12月秩父夜祭りでの興行を記録したものです。
里美さんは翌年95年11月26日(享年72才)で亡くなられています。映像はその里美さんの告別式の様子から始まり、奥さんの春子さんや関係者が見守る中、棺の中で安らかに眠る里美さんのお顔が大写しになり、そして94年の夜祭りの始まる数日前の早朝へと時間は遡ります。
安田興行がトラックで到着し、興行に関わる一切の資材を始め、寝小屋(テント)そして生活用具を荷下ろして、休む間もなく一座皆で小屋掛けを始めます。
一座と言っても全部で9人。
メンパーは、社主の安田里美さん(当時71歳)。巧みな口上でお客を引き入れる奥さんの春子さん(61歳)。客寄せのタコ娘となるフクちやん(61歳)。やはり客寄せの首人間(ビクバラシ)となるカズさん(63歳)。小屋掛けの中心で、イヌの芸を行う春子さんの実弟、梅田陸男さん(52歳〉。安田興行のペテラン裏方で、先代の親戚、安田秀義さん(60歳)。やはり裏方で陸男さん、秀義さんを助ける文男さん(51歳)。それに、この興行の助っ人として多田興行からやってきた、ナミちやん(68歳、1996年逝去)と手品師の長崎さん(81歳)。
寝小屋の中での生活をカメラがとらえ、里美さんと春子さんのまるで漫才のような掛け合いの中、里美さんの生い立ち、2人の出会い・結婚等々インタビューが進んでいきます。
春子さんは本当に明るく良くしゃべります。
フクちゃんやカズさんは、知的障害者で親兄弟・親戚からも見放され、この一座で働いています。春子さんは、これも何かの縁だよ。人助け人助け・・・と明るく笑いながら、自分が死んだ後の彼らの生活のことまで心配し、心底親身になって彼らの面倒を見ています。
ナミちやんは、生まれつきの身体的特徴からいわゆる因果者として、ウシ娘とかイノシシ娘などと称し、これまで幾つもの興行を経て、この時は「山鳥娘」として舞台に出て、皿回しや逆立ち踊りを演じます。
安田里美さんは1923年、大阪で白子として生まれ、4才で興行主の安田与七に引き取られ見世物小屋一筋の人生でした。この興行の直後に倒れ、奇蹟的に復帰し1995年10月、「最後の見世物・人間ポンプ」という公演を浅草で行うまでに回復しましたが、その公演の翌月、ガンのため亡くなりました。
夜祭りの前夜、どの位の入りがあるか分からない緊張の中、里美さんは静かに床につきます。
公演は9時30分から23時30分までの長丁場(ちなみに入場料は大人600円、子供400円)。
祭の熱狂のなかで、春子さんのタンカにつられてお客さんがどんどん入り、小屋の中での怪しげな芸の数々に笑う人、拍手する人、口を半開きにする人・・・それぞれに楽しんで小屋を出ていきます。
初日は約2000人以上入り、一座にも大入り袋が配られます。
さて里美さんの芸を紹介しましょう。
鼻でハーモニカを演奏。白黒の碁石を幾つか飲み込み、客のリクエストで、白1ケ-->黒1ケ-->黒2ケ-->白と黒1ケづつ-->白と白1ケづつを吐き出す。昔の50円玉2ケと鎖を飲み込み、鎖に50円玉2枚の穴に通して吐き出す。鎖を鼻から口へ通す。折った紙で水の入ったバケツを持ち上げる(気合術)。紐の片端に水の入ったバケツ、片端にボタンをつけ、ボタンの方を目の中に入れてバケツをブンブン振り回す。折りたたみ式のナイフを2本飲み込み、折りたたんだ状態で2本とも吐き出す。カミソリ4枚を一枚一枚飲み込み、4枚まとめて吐き出す。金魚3匹を飲み込み、2匹を吐き出した後、釣り竿についた糸を飲み込み1匹を釣り出す。ガソリンをコップ1杯飲み込み、火を連続で吹き出す。
祭りが終わった後は、一座は次の市や祭りを求めて風のように去っていき、街にはいつもの空気が漂います。
これからのことになると、話は少し沈みがちです。
後継者が居ないので、見世物小屋は自然消滅してしまうだろう・・・。
でも見世物小屋の灯は絶やしたくなので、演者(大夫)を募集中と、冗談混じり、それとも本気(?)で話されていました。
戦後は身体障害者が小屋には多くいたそうですが、特に昭和50年以降身体障害者を使うことに対する取り締まりがきつくなっていったそうです。
そういった意味でも見世物小屋を続けていくことは、今の世の中、現実的には無理なのでしょう。
そのあたりを児童福祉法で子供たちを使えなくなったサーカスと対比しながらお話しされていました。
大寅興行がフランスに行った時の感想を大野さんいわく。
お化け屋敷は日本の3倍くらい大きいけれど、見世物小屋は日本の方がはるかに良い。向こうのは剥製(はくせい)が飾ってあるだけ・・・
大野さんは綱渡りからはじめてオートバイのサーカスの呼び込み、火吹き、ヘビ喰い等々を演じ、安田さんも大夫として同じように何から何までこなし、ヘビ喰い(鼻からヘビを入れて口から出す)は亡夫から厳しく習い多いときは一日に60回ほども演じたことがあるそうです。
その頃の修行の辛さは、語りようにも語ることが出来ないと察しました。
そんなエピソードを交えながら、お二人とも姉御肌を感じさせる気っぷの良さと、どんな逆境をも乗り越えてしまう明るさを持ち合わせ、特に安田さんはよくしゃべり楽しいひとときを過ごすことが出来ました。
さて、ご両人共にお化け屋敷よりも見世物小屋の方に思い入れがあるようで、安田さんは、ライバル同士ではあるけれど他の興行とは親や兄弟よりも深い情愛で結ばれているので、移動先で会えるのが本当に楽しみだと語っていました。大野さんは、それに加えて、呼び込みでお客さんが入る時の快感、そしてお客さんからの反応などがあるから、やめられないと仰っていました。
ちなみに大きな板に血をつけた「大イタチ」という見世物は、この世界で半世紀以上過ごしたご両人でも未だ見たことがないと仰っていました。
休憩10分
休憩10分
話は変わりますが、
相手を表面的な言葉面で徹底的に攻めてツッコミ倒す演出。素人とプロとの境は無いのだという錯覚を押しつけるような演出。立場の弱い者や貧しい人を標的にした笑い。集団で体を張った文字通り命がけの苦痛でゆがんだ様を見て笑えと強要する理解しがたい番組。前後の脈絡のない一発芸的な身体表現をギャグと称するセンスの無さ。落語界に入門して口の滑りをなめらかにして、笑い屋に囲まれたバラエティ番組で運び屋として時流にのる芸人もどき。・・・・・私自身テレビにはこれっぽっちも期待はしていませんが、我々自身がもっともっとホッとするような心温まる「笑い」を求めましょう!
(仲入り)