- コンコード・ジャズフェスティバル・イン・ジャパン'99(1999.11.13)
- ジャパンジャグリングフェスティバル1999(1999.10.29)
- 大須大道町人祭(1999.10.16)
- 伊勢大神楽(1999.10.10)
- 港南台祭・マサヒロ水野ジャグリングショー(1999.10.3)
- レ・クザン(1999.10.1)
- ハンガーマン(1999.9.28)
- CIRCUS ACT(1999.8.18)
- MYSTERE(1999.8.15)
- デビッド・カッパーフィールド(1999.8.13)
- スーパー太鼓セッション '99(1999.8.3)
- ボリショイサーカス(1999.7.30)
◎楽しんだパフォーマンス
伊勢大神楽は、毎年12月24日午後、三重県桑名市太夫町の獅子頭を神宝にまつる益田神社に、各社中が集結し祈願の後、社前で大神楽を奉納(舞い初め)し、そして社中ごとに桑名を出発して、元日から12月にかけて、近江をはじめ北陸、近畿、山陰、瀬戸内、四国など、毎年決まっている日程で各地の持ち場へ巡業に行きます。、一軒ごとにお祓いに廻り、こうして各戸を廻った後、村や町の中心となる社寺の境内などで総舞奉納(総まわし)なる芸づくりを公開し、神社に奉納します。
現在大阪府下で総まわしをするのは4ヶ所だけだそうで、今年の日程は以下の通りでした。
やはり毎年大神楽を楽しみに待っているようで、子供連れの若夫婦、孫と一緒のおばあちゃん、ビール片手のおじさん、ガキの集団等々、ござの上に座ってのんびりと、皆さん歓声やら笑い声などあげながら秋の休日を楽しんでいます。
私は片道5時間半かけてやって来たものですから、何一つ見落としてなるものかと目をギンギンにして観ていたのですが、何だかそんな自分がばからしく思え、途中からは肩の力を抜いて自然体で楽しむようにしました。
2時間もの間、舞と曲が次々に披露されました。全ての舞と曲を演じるには4〜5時間ほどかかってしまうとのことです。
山本源太夫社中は、数えてみると11人でしたが、曲芸担当の太夫は一人なので放下芸では出ずっぱりでした。放下芸では、江戸太神楽とは違って口上も無しに見栄も切らずに割と淡々と芸をこなしていきます。後見との掛け合いも江戸太神楽ほど頻繁ではないのですが、そのやりとりは面白可笑しく、大神楽ならではの醍醐味を堪能しました。
この総舞には、国立劇場の方と大神楽研修二期の研修生の方々が、研修の一環として観に来られていました。(Kさんは大神楽研修の講師をも務められています)
総舞の後に研修の一環として、山本源太夫さんにお話を伺うというので、私も図々しく参加させていただき、これも長年の夢であった山本源太夫さんと直接お話をし、また様々なエピソードをお聞きすることができ、感激しっぱなしの一日でした。
山本源太夫社中は、毎年一年かけて4万軒もの家々を廻っているそうです。
その巡業先の順序など行程の全てはもう百年単位で受け継がれてきたもので、彼が生まれる前から既に決まっています。迎える家々も大神楽が来ることは四季が巡ってくるのと同様に、当然のこととして毎年欠かせられない行事の一つになっているのでしょう。
放下芸ですが、屋外の自然の中で、しかも春夏秋冬いずれの季節でも演じるわけですから、自然環境に対応した技術が必要とのことです。
例えば風が強ければバチは縦に回転させるのではなく、横にヘリコプターのプロペラのように回転させて投げ上げ、風の影響を少なくするよう工夫するとのことでした。
また昔は刃物は真剣を使っていたので、数多くの芸人が巡業先で死んでいったようです。
割と芸は淡々としていると書きましたが、4万軒すなわち一日百軒以上を廻っているのですから、それは当然のことでしょう。それが数百年続いているわけですから、ジャグリングを数年程度かじった程度の私が大神楽の曲芸を評するなんて言うのは全く持って意味のないことです。
また寄席芸を中心とした江戸太神楽と比べると、使っている道具も年期が入っているというか古びているし、見せ方自体もかなり異なっています。
寄席芸の場合は、お客を呼び込まなくてはならないので伝統ばかり重んじてはいられないでしょうから、一口に大(太)神楽と言ってもそういった点でもだいぶ立場が違うようです。
伊勢大神楽と江戸大神楽(あるいは水戸大神楽)との違いを文章の上からではなく、この目で確かめられたのもひとつの収穫でした。
大衆芸能の原点を大道芸と呼ぶのならば、「大道芸そのもの」を今回目撃したと言っても良いでしょう。村々の神祭りが母胎となって庶民の生活に根付き、そして花開いた芸能は土臭く、しっかりと時や世代を越えて「家」にとってなくてはならないものになっているのです。
それは芸能自体がその村の風景そのものになったことを意味し、神を敬い自然と共存していく人々の慎ましくも力強い営みがそこにあることを証明しています。
と、帰国して何日か経つ今もまだまだ感動の余韻を引きずっていますが、ひねくれものの私はふと考
えたりします。
芸術そのものである舞台、ハイテクを駆使しているであろう各種設備、最大限の効果をもたらす照
明・音楽、そして何よりまるでオリンピック競技を見るかのように、これ以上のパフォーマンスがで
きる人間などこの世にいないだろうと思わせるほど驚異的なサーカスアクト・・・・。
洒落たレストランでの一流のシェフによる超豪華なフルコース料理も良いけれど、山頂での生野菜丸
かじりも良いものです。
CIRQUE DE SOREILのサーカスは芸術性は得たものの、あまりに現実からかけ離れてしまったようで、
CIRQUE DE SOREILを観た後は、土の匂いのするようなもっと素朴で人間が本来持っているエネルギー
を感じさせるようなサーカスに身を置きたくなるのは、すごい贅沢ですね、私って。